低速な怒り/通信制限/反射

通信制限かかってますが、ギリッギリブログの更新はできる。
あとspotify 。何故だ?


友人に、怒りを感じる前に「何でこんなことになるんだろう」と一度飲み込んで考えてしまう話をしたら、「それはもう怒りの旬を過ぎてるな」と言われた。


怒りの旬…


分かりやすい笑


新鮮なうちになるべく早く消化したほうがいいわねそれは。ずいぶん腐らせてきたもんなぁ…


「いきなりはっきり怒れんくても、

“え!?” “え、今何て言いました?”って聞き返すだけでも違う。

普段から感情をすぐ声に出しとくねん。

美味しい! わぁー! キレイ! 嬉しい! 

そしたら怒りを感じた瞬間の“え!?”
も出やすくなる」


この友人の怒り方レクチャーをキャリアカウンセラーさんにしたら、そうそうと笑ってた。

もっときついのは“は!?”ですね。

なるほど………


怒りの聞き返しとして

「え!?」<「え、今何て!?」<「は?」<「はぁーん!?」


な感じか。


動物だって威嚇するもんね、これ以上近づいたら“シャー!!!”みたいなことよな。自分を守るためだ。


腐ってる場合じゃないよ。

反射のスピードを上げて行こう。

キャリアカウンセラーさんとの出会い 1  ―――職場の体型いじりどう乗り切るか/容姿コンプレックス/尊厳を守る

先日ハローワークに職業相談へ行ってきました。


職業相談は就職に関する様々な相談にのってくれる所です。


最初からずっと同じ人がカウンセリングを担当してくれるので安心してお話できます。

私は運が良かったです。

聡明なキャリアカウンセラーさんに担当して貰えたので。

1時間のカウンセリングで現在の状況を一緒に把握しながら問題点とその対処法をスッキリ提案してくれ、毎回思考がクリアになり自分の意思を確信して帰ることができます。


今回は太ったことによる職場での“からかい”と自分の気持ちを伝えることが重要なテーマでした。


私の容姿コンプレックスはなかなか根深く、実際に摂食障害の引き金にもなっている訳です。


太ったと言われるようになった事で過食の症状もぶり返し、言われないために色々工夫を重ねてきたが状況は変わらない。職場はメンタルヘルスに理解があり、過呼吸などで不安定な私を大らかに受け入れてきてくれた。大好きな人たちだけに余計に辛い。


今すぐでなくても、辞める目処を立てたら気持ちが少し楽になるかもしれない。



それに対してカウンセラーさんの答えは


「ここで何も伝えないまま辞めてしまうと今までと同じパターンを繰り返してしまう」


「自分が酷く傷ついていることを、信頼できる職場の人にまずは伝えてみる」


「就労移行支援・就労継続支援をスタートする新しい変化の時でもあるから、辞めるタイミングも慎重にはかった方がいい」


「半年前に出会った頃は本当にひとりぼっちな感じだったけど、職場の人に悩みを打ち明けたり友人たちとの繋がりが再開したり、雰囲気や流れが開いた方へと大きく変わってきているから、今再び閉じてしまうのはもったいない」



やめてと言った所で相手がそういう目で見ている事実は変わらないしと思っていたけど、あぁそうだ自分の気持ちを伝えることの方が重要なんだと改めて気づきました。
 

結局兄や親戚、父に対してできなかった、容姿や体型をこき下ろして気分よくなるのを、あるいは何も考えずからかうのを「傷つく。やめて」と相手に伝えることを今する時だと。相手の反応や対応以前に、自分の尊厳を守る為に必要なこと。


最後に


「真駒さんは受け入れられないと思いますけど。」

「私は真駒さんの容姿好きですよ。キュートだと思います。お世辞じゃなく。」

カウンセラーさんは普段と同じ落ち着いたトーンで静かに言ってくれました。


お世辞であれば、あるいは条件付きの一過性の評価であれば、私はその不安定な声やゆるんだ目元から動物の感触でそわそわ不安になっていると思う。嘘と転落ほど傷つくものはないから。もちろんネガティブな思い込みかもしれないけどね。


信頼する人からの言葉は揺るがない。

今になって涙が溢れてくるのは、私が欲しかった評価以上の何かの核心に触れたからだと思います。

今まで空っぽだったその核心に、色んな人があたたく大切なものを注いできてくれました。

これからは私自身もその核心を大切に育てていく必要があるのでしょう。

みんなが注いでくれた愛情を、生きる養分として漏らさず吸収し、再び人々に還元する。

自分の尊厳を守ることは“貰いっぱなしで漏らしっぱなし”で消費してきた愛情を幸せな形で循環させることにきっと繋がる。


もう繰り返したくない。
新しいパターンへ舵をきるんだ。


傷ついてもへらへら笑っとけ?
怒っちゃダメ?
口答えすんな?

はっ!

しんなりしてられるかー‼
うぃー‼


私は職場の人たちに感謝してるし信頼しています。

だからこそ、逃げずに伝えてみようと思う。

大人の私が子ども時代の私に寄り添い、残酷にからかう大人たちに何を言えばその子の尊厳は守られたのか?

結果は二の次です。

守ってくれる人がいる、そのアクションを子どもは求めている。

行くぞー。

うっかりカフェイン蛍光灯


⒈紅茶のパンチ効くわぁ


眠れない…

チャイ効いた…一杯で。


本当にカフェインに弱い


明日お休みやからちょっとくらい…が仇になった


やっぱり朝10時以降は飲まないようにしよう、寝たい



⒉煌々とせんでええわぁ


蛍光灯の煌々とした白い灯り長時間浴びるとぐったりするうえに眠れなくなるから家ではつけない。

昼白色のん購入。

それでも朝イチ以外はつけないけど。


類は友を呼ぶのか、蛍光灯の白い光苦手な人周りに多い。




昨日の日記はまた近々。




もう一眠り…

断捨離魔の憂鬱/記憶の上書き保存法

忘れたいけど忘れられない苦い思い出から自由になりたい。


そんな時私は狂ったように物を捨てていく。日常生活がままならなくなるまで捨てる。

断捨離は心身リセットするって言うけど、最近はスッキリする以上に殺伐とした気持ちが上回ってきて、もうこれは嗜癖みたいなものかなとも思う。


暗記法で覚えたいものと場所を結びつける、というのがありますね。

記憶は場所とセットになってるらしい。

何か辛いことがあったらそれが起こった場所で楽しいことをすると辛い記憶(気持ち)が楽しい記憶(気持ち)で上書きされるみたいなことを何かで読んで、できる範囲から実行してる。

これ、結構効くよ!


ここにいるのもう辛すぎる、一刻も早く引っ越したいって思ってたけど、楽しい思い出をもう少しここで積み上げてからにしようかと思い留まってます。

この調子じゃ何かあるたび転々としなきゃいけなくなるもんね。


モノもそうかなぁと思った。

買った時の記憶が蘇るから、買い物は楽しいことがあった時や友達と一緒の時にすることにしている。

悲しくなった時に嬉しい記憶を思い出せるように。


去年の秋の夜明け前、通勤途中かなり久しぶりに激しい過呼吸を起こした。

油断してると未だにその時の映像が襲ってくる。しょっちゅう。


見たくないものを見てしまったその道を、近々来てくれる友達に付き合って貰って歩く。


忘れようとするんじゃなくて、その忘れたい場所にいながら楽しいことして記憶を上書きして行こうと。


さっさと楽しく塗り替えて、さっさと次へ行きたいやんか。


今日も友達たちに感謝。

やりたいことが別に立派な目的じゃなくていいなら


「やりたいことが別に立派な目的じゃなくていい」


このところ至るところで目にするようになって、改めて考えてみた


うーん、立派な目的じゃなくていいなら…



おしゃれしたい


爪に色を塗って


メイク楽しんで


アクセサリーあしらい


キレイなヒール履いて


女らしく

女を楽しみたい


女だぁって実感したい


恋愛したい


……かなぁ。しかもなるべく早く。




数年前に「ぐりとぐら」の作者、中川李枝子さんの講演会で彼女の少女時代のお話を聞いたことがある。


贅沢は敵だ”の戦時中、お姉さんから聞いたまだ日本が豊かだった時代の話しから想像を膨らませ、友達たちと空想のおしゃれ話しを楽しんでいたと。


「私のお母さんはキレイな首飾りをかけていた!」


「私のお母さんは髪にパーマネントを当てていた!」


「私のお母さんはかかとの高い靴を履いていた!」



この子ども達のお喋りは個人の為にも平和の為にもきっととても大切な何かがあるんだろうな。 


私たちはおしゃれを少年少女から奪ってはならないし、おしゃれしたい気持ちは決して誰も奪えない。


ファッションは今の自分を励まし、未来の自分の味方になってくれると思う。そして時代の舵を切っていくツールでもある。


今まで私がまとってきたファッションは自分をいかに隠し抑えるかが目的だった。


女性性、明るさ、自由…


「女らしさ」を追及することを鏡の片隅から嗤われないために。

もう彼はここにいないのにねぇ。


かつて、もうかつて、に過ぎないのに。


過去の記憶も思いもみんなほんとに水に流したい、自由になりたい。


誰かに対して、何かに対して、ほどけないのは見苦しいって分かってるし、ただ苦しいだけだし自由になりたいと心底願う。


安富歩さんが女性装をすることで自分を取り戻して行く過程を今の自分に重ね、奮い立たせる今日この頃。


それはそうと、友達が私の幸せを信じてくれるってもうそれ既にめちゃくちゃ幸せなことですね。




安富歩さんインタビュー↓



50歳で始めた女性装、転機に 東大教授の安冨歩さん

朝日新聞 2017年3月6日08時33分

https://www.google.co.jp/amp/s/www.asahi.com/amp/articles/ASK2W5KL4K2WUTIL036.html



東大生より不登校のほうが人生を始めやすい理由 東大教授・安冨歩

不登校新聞
474号 2018/1/15

https://futoko.publishers.fm/article/17041/
  

就労支援事業所に行ったらアッシュピンクの髪したお姉さんが迎えてくれて少しホッとした話し、とアリス・ミラーについて

就労支援事業所、見学行ってきましたよ。

探せばあるんだなぁと思いました。


就労継続支援a型の方はイラストや文章、絵本、アクセサリー作り、翻訳やジオラマ制作など“自分のやりたい”ことに取り組みながら週5で4時間から通所し、最終的には週5で6時間、就職のためのリズムを作る。制作したものを販売し、時給も発生します。


就労移行支援は週1回2時間からのペースで、同じように興味のある分野に取り組みます。パソコンやイラストなどプロの授業を希望によって受けられ、様々な会社見学にも行けます。時給は発生しませんが、無料でサービスを受けることができます。


就職迄のサポートと雇用先のジャンル開拓、就職してからの定着サポートなどをしてくれます。


ハローワークの障害者向け求人はジャンルが偏っている中、雇用先のバリエーションを開拓していくってすごいありがたいですね。




電話で何か持参するものはないかと尋ねたら、ポートフォリオがあれば持って来て下さいとの事。


このブログと以前書いたいくつかの文章を印刷したものと、スタジオ衣装デザインの求人のため描いたファッション画数枚をファイルして持って行きました。


面接は沢山話を聞いてもらい、見学も含めてたっぷり1時間半。


印象に残ったのは、雇用する側は今どんなスキルを持っているかは実は重要視していない。それは入ってから覚えて貰えばいいから。それよりも気にするのは「毎日時間通り来てくれるか」「できる、できないなどの意思表示をしてくれるか」。


だからここでは毎日時間通り安定して通うことができれば、後は自分の興味あることに自分のペースで取り組んでくれたらいい。


例えば切り絵が得意でずっと切り絵を作ってる人が、直接切り絵を仕事にできなくてもいい。その手先の器用さを活かせる雇用先を探して行く。


だから自分の興味あることに取り組んで貰えばいいんです。


あとよくあるのは、雇用主が障害者ということで本人には簡単すぎる仕事ばかりふってしまうケース。でも仕事にはやりがいも必要。雇用主と利用者の間に入って、これぐらいまでなら彼/彼女はできますなど、交渉していきます。


去年ここから就職したのは10人中3人。何も知らない私からしたら少ないような気もするけど、就労支援事業所の平均値じゃないかな?(大阪府のホームページから就労支援事業所の就職率を見れる)


でも今は自分のペースで通える事と居心地が良いことが何より大切。
イコール過呼吸にならない事、なので。


何がやりたいかと聞かれて、はっきりはわからないけど、今後変わる可能性もあるけど、非現実的かもしれないけど、今分かる範囲で、と前置き(長い)して



究極の希望は在宅でできる事


アリス・ミラーや西澤哲さんのように子どもへの非暴力とトラウマからの回復をテーマに情報発信している人々と、そのような情報を必用としている人々を繋げる情報整頓・情報共有サポートみたいな仕事


不登校新聞」のように、テーマを特化
(私の場合はメンタルヘルスや子ども)したメディアの記者、ってイメージかなぁ



とりあえず受給者証発行してもらえたら、の話だけど、ここでお世話になれたらいいなと思います。



アリス・ミラー(wikipedia)

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%A9%E3%83%BC


新版 才能ある子のドラマ―真の自己を求めて

新版 才能ある子のドラマ―真の自己を求めて



魂の殺人―親は子どもに何をしたか

魂の殺人―親は子どもに何をしたか



闇からの目覚め―虐待の連鎖を断つ

闇からの目覚め―虐待の連鎖を断つ



「闇からの目覚め」は彼女の理論を分かりやすくまとめてあるので、これを読むと他の著作も理解が進みました。


「魂の殺人」は教育と暴力、虐待の連鎖を明瞭に理解できるバイブルみたいなものかと。


子どもに対して何らかの罪悪感を抱いてしまう人は「魂の殺人」より先に「才能ある子どものドラマ」を読む方がいいだろうとミラー本人が書いています。

いつそれが起こるか分からない緊迫と恐怖は暴力なのか

「いつ来るか分からないのはいつも来ているのと一緒」

友人の言葉です。


斧で叩き潰したドアの割れ目から狂気の男が顔をつき出す有名なシーン…


ジャック・ニコルソン主演の「シャイニング」は有名なホラーだそうですね。


私は全編通して見たことはありませんが、YouTubeで件のシーンを見ました。


扉を挟んですぐそこにいる、狂気の男。追い込まれた密室で、みるみる叩き割られるドア。
逃げ場のない迫り来る恐怖を、短い時間でも感じることが出来ました。


この時、友人の言葉は真理だと改めて思ったのです。恐怖を感じる対象との距離が扉一枚か、隣町か、国境の向こうか。またはこの世とあの世かもしれない。


だけどどれだけ物理的に離れていても、その人のトラウマの深さによって感じる恐怖の大きさは増幅します。時間も空間も一瞬で越えて。


「私は今、斧で脳天を割られた訳ではなく無事なんだ」


あの緊迫した状況でそのように“今、ここ”を考えられる人は少ないでしょう。たとえ真理だとしても。


「私は今、斧で脳天を割られるかもしれない」


そのように感じる今、ここの恐怖もまた真実なのです。



カウンセリングの先生に「でもしょっちゅう殴られてたとかじゃないんです、実際に殴られたのは数回だけです。いつキレるんかな、キレたら止まらない、どうなるか分からないってだけで」と言った時、先生はすかさずこう返してくれました。


「いつ殴られるか分からないっていうのは、いつも殴られてるとはまた違う恐怖ですよ」


ホラー映画は正にその恐怖を味わう訳ですね。


確かにそこに恐怖があることは分かっているが、それがいつ襲ってくるか分からないからホラーが成立するのでしょう。


頻繁に暴力が繰り返されるバイオレンスとはまた別種の恐怖です。



どんどん壊れていく扉越しのジャックに戦慄する女は、瞬間で私の記憶にスイッチしました。


小学生高学年の頃でしょうか。
薄いベニヤ板で出来た扉を、オレンジ色した持ち手の切れ味鈍いハサミを鈍器に、無言でうずくまった兄が繰返し叩き割っている姿は静かな恐怖でした。


ダイヤル式電話のベル発信器を拳で殴り潰し、あのけたたましい呼び出し音をおとなしく黙らせた事もあります。


文化祭の出し物について10人近い同級生に連絡して説明する係を私が受け持った時の話しです。


何度も繰り返す呼び出し音に業を煮やしたのでしょう。


私はひたすら殴られる発信器と苛立ちに満ちた顔の兄を仰ぎ見ながら、それでもなお受話器の向こうの同級生に説明を続けなくてはいけません。そしてまだこの後に電話をかけなくてはいけない相手が何人もいるのです。


これらの記憶は私が今まで体験した恐怖(天災や事故的なもの、人為的なものも全て含めて)の中でも身体への危険性は低い部類に入ります。


拳や刃物などを自身に向けられる直接的な脅迫は恐ろしいものですが、それとも違います。


「めったに殴られたことないし」

あるいは

「自分は殴られたことないから」


確かにそれは事実だとしても、その事が身近な誰かがまたは何かが殴られたり破壊される現場に身を置く恐怖を過少評価する理由にはなりません。


身体で感じる殴られる痛みと、心で感じる殴られるかもしれない痛みは比較して優劣を争うものではなく、個々に尊重されケアされるものです。


そしてどちらの傷も、言葉によるコミュニケーションに加えて皮膚を通した心地よいふれあいによって癒されていくものだと思います。


“愛は皮膚から生まれる”と読んだ事がありますが、トラウマからの回復に重要な役割をふれあいはもたらしてくれるのでしょう。



緊迫の密室から勇気をもって吹雪の街へ逃げ出したあなたには、愛を求める権利があります。


自分の痛みを外へ開く事はその為の第一歩であり、自身を語る行為はみっともないと沈黙しないこと。


とるに足りない痛みなどないのです。痛いものは痛い。ありふれた痛みへ共感できる感受性は暴力の萌芽にいち早く気づき、取り返しのつかない事件を未然に防ぐ知恵を社会に授けます。



あなたが「助けて」と声を上げることは、同じような境遇に取り残された人々を社会が発見するきっかけとなるのですから。




「怖かったね、もう大丈夫だよ」




私たちは真実への共感と安心できるふれあいによって誰かと繋がり、それによって他者の魂を奪うことなく自分の魂を生きていけるのです。


優しい誰かの腕の中、全身で安らぎを感じる永遠が私たちに訪れますように。



再見!!