「笑顔のない君なんて笑顔のない松岡修造みたいなものだ」と松岡修造に言われたなら

…って松岡修造に言われたら笑顔になるわな、あくまで修造に言われたら、ね。



職場で「(日めくり)まいにち、修造!」卓上カレンダーを机に置いてる人がいて、私はひっそり松岡氏渾身の激励文句(毛筆体)とモノクロ写真にも関わらず極彩色なオーラ放つ顔面七変化に大変励まされ、また勇気を貰っています。色んな意味で。ありがとう。


テレビをほとんど見ないから最近の松岡氏のこと全然知らないんだけど、真夜中の泥の中をもがきながら手探りで歩いているような重苦しい時期、私は松岡氏の“振り切れ加減”に幾度となく救われてきた。




末期癌の祖父の入院見舞いに向かうバスの中、小型テレビに流れるファブリーズの無音CM 。


音のない世界も修造が踊ればファンファーレが響き渡る。


彼の全身全霊をかけたファブリーズ噴射と緩急自在なキレのあるダンスは私の靄(もや)を一瞬で吹き飛ばした。
 

実に爽やかに、実に馬鹿馬鹿しく、そして誠実に。


振り切れるってかっこいい……!


「何かもう自分がちっぽけな存在に思える。」悩める人が大自然を前にした時に呟く言葉を、私はテレビ越しの松岡修造にいつも思う。




最近「誰にも彼にもいつなんどきも笑顔対応」の信条(実行できていたかはさておいて)を放棄して、本気で楽しい本気で嬉しい時以外は極力笑わず体力を温存している。


しかしキャラクターの変換期には
周りの人は戸惑うもので、「大丈夫?」「元気ない」「太ったね」など様々な言葉が投げ掛けられる毎日に感謝と落ち込み入り混じりみるみるどんよりしていった。


そんな中目にした今朝の修造氏激励の言葉が今回のタイトル。



「笑顔のない君なんて笑顔のない松岡修造みたいなものだ」




精気吸われた松岡氏が明後日の方向を弱々しく眺めている…。
  
 

笑ってしまった。



ふざけでなく、本気で魂を抜きにかかっているのが伝わってくる。



そんな危険な事常人には到底できない。
いやていうかしないよ誰も。



覇気のない松岡修造はこんな顔になるのか…。




斜に構えたブラックジョークより、大真面目な真剣さからこぼれ出る副産物みたいなバカバカしさは心をほっとほぐしてくれて好きだ。




松岡さん、おかげで憑き物吹き飛びました、ほんとにありがとうございます。


久しぶりに晴れやかな笑顔が帰ってきて、嬉しい。